八ヶ岳山麓は良く訪れた場所だった。しかし八ヶ岳には登ったことは無かった。何時でも登れると思っていたのかも知れない。
深田100名山の95座目として登ることにした。



6月18日(金)に大阪毎日新聞社前に集まったのは16名だった。男性9名に女性7名。最近男性が多いみたいだ。
男性では渡部さん、新田さん、山田さん、小川さんが旧知で女性では曽田さんが山友達だった。添乗員は清水さん。




名神・中央道の高速で諏訪ICまで行く。途中の駒ヶ岳SAで昼食。中央道では中央アルプスの空木岳・宝剣岳が見え、南アルプスの山々が望まれた。美濃戸口でバスを降り、1時間ほど歩いて美濃戸山荘に着く。午後1時50分だった。目の前の阿弥陀岳が大きい。
夕飯まで時間があったので、山荘前のベンチで700円の生ビールで山談義。






八ヶ岳の最高峰は赤岳(標高2899m)である。八ヶ岳の細長い主稜線は、普通夏沢峠によって二分されている。
森と湖沼の北八つ、岩稜の南八つ。
今回は南八つで、美濃戸から柳川南沢を遡り、行者小屋を経て、主峰の赤岳に登る。赤岳から横岳・硫黄岳を経て夏沢鉱泉まで縦走するコースだ。






19日(土)6時20分に山荘を出発。リーダーは旧知の畠山ガイド。樹林帯をゆっくりと歩く。
何時ものようにラスト。添乗員の清水さんが最後尾を固める。彼は昨年末に毎日に入ったみたいだ。
ワタガラスの番を森の中にみつけた。初めてお目にかかった鳥だ。





9時5分に行者小屋に着く。ここから主峰の赤岳がどっしりと聳え立っていた。
遠くに槍ヶ岳・穂高連邦が望めた。白馬三山・五竜・鹿島槍ヶ岳も確認できた。



ここから急登の連続だった。天気は良い。11時に赤岳頂上に達する。標高2899m。富士山が良く見える。
南アルプスは勿論、御岳や中央アルプス、北アルプスも良く見えた。大型台風6号の日本上陸が遅れているみたいだ。ラッキー。
昼食を食べ、家に無事登頂を電話し、周りの360度の展望を満喫し、11時45分に出発。







ここから横岳への下りはきつかった。何度も尻餅をつく。
横岳への岩場を攀じ登り、13時20分に横岳(標高2829m)に着く。
ここから硫黄岳への稜線はお花畑だった。コマクサの群落もあったが、花にはまだ早く、少しの蕾があった。
色とりどりのお花たち。






硫黄山荘を経て、14時42分に硫黄岳(標高2760m)頂上。ここの爆裂火口は凄まじい印象だった。






夏沢峠を通らずに、短縮してオーレン小屋に15時50分に到着。ここでヒマラヤで見たブルーポピーを見る。湧き水が冷たく美味しかった。
30分程で本日の宿「夏沢鉱泉」に着く。
まず鉱泉に飛び込む。茶色の温泉だった。
リスがひまわりの種を食べに訪れていた。八ヶ岳を登ってきた満足感で皆で乾杯。
夕食後8時ごろから翌朝まで10時間近くぐっすりと寝た。家ではこんなに眠られない。



















今回の八ヶ岳で深田100名山は95座だ。あと5つ。北海道日高山脈の幌尻岳への道が回復されたら、多分今年中に100名山を達成できると思う。





今回の仲間で数年前に100名山を終わっていた人がいたが、彼は遂にやったという気持ちと、目標が終わった空しさを感じたと云っていた。
彼はそれからモンブランを実際に登り、マッタホルンも挑戦したが、途中でガイドにストップを掛けられたと言っていた。
今は二度目の深田100名山を挑戦中とのこと。
私の場合はどうだろう。深田100名山達成後は、登りたい山と近くの京阪奈丘陵・高山の里山を歩くつもりだ。
万里の長城からベニスまでのシルクロードを駱駝(?)に乗って歩きたいものだ。
既にシルクロードの点は彼方此方訪れている。来月は西安・敦煌・トルフアン・ウルムチに行くつもりだ。
「かわせみ農園」にも力を入れ、果樹園と畑仕事も楽しみたい。竹炭つくりと椎茸栽培も本格化したいものだ。
夢は限りなく広がり、自給自足に向かってまだまだ時間が欲しい。
妻は「何故そんなに急ぐの?怖い!」と言うが、私にとって100名山達成は一里塚のようなものだ。早く通過するに越したことはない。

終わり
(記述日:2004.6.21)
(掲載日:2004.6.22)